いよいよ3月になります。新しい学年が待っています。中3生・高3生の何人かから、嬉しい合格の知らせをもらっています。でも、公立高校入試の最終目標である後期選抜は3月上旬です。これを第一志望にしている受験生にとってはここが勝負どころです。今まで努力してきた自分を振り返ってください。そして、自信を持って試験場に向かってください。
さて、「中野塾」では、3月から新年度ということで授業時間割の大幅の変更を行います。現在、「新年度希望授業」の手紙をさしあげておりますが、ご不明の点がありましたら、お気軽にご連絡ください。これからも、よろしくお願い申し上げます。
3月 | 1日(金)〜 21日(木) | 通常授業を行います |
※3月中旬〜4月上旬 | 「保護者面談」「春期講習」「新みやぎ模試」を行います。 | |
4月 | 1日(月)〜 | 通常授業を開始します |
(※)・3月は4週目の分を「保護者面談」「新みやぎ模試」または5月に予定している高校生の模試にあてさせていただきます。詳しくは別紙でご案内いたします。また、春休み期間中を利用して「春期講習」を行います。それぞれの生徒に合った内容で行いたいと思います。こちらも、詳しくは別紙でご案内いたします。
●4月7日(日) 9:00〜13:10 泉中央教室で、中学新2・3年生に『新みやぎ模試』を行います。出席できない生徒はご連絡ください。
「徒然草」の第52段に次のような話があります。教科書にもよく採用されるのでご存知の方も多いと思います。
仁和寺にある法師、年よるまで岩清水ををがまざりければ、心うく覚えて、或る時思ひ立ちて、ただひとりかちよりまうでけり。極楽寺、高良などををがみて、かばかりと心得てかえりにけり。さてかたへの人にあひて、「年ごろ思ひつることはたし侍りぬ。聞きしにも過ぎてたふとくこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へのぼりしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へまゐるこそほいなれとおもひて、山までは見ず。」とぞいひける。すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。
仁和寺にいたある法師が、年取るまで岩清水八幡宮に参拝しなかったので、残念に思って、ある時、思い立って、ただ1人徒歩でお参りした。そうして、麓にある極楽寺や高良社などを拝んで、それだけのものと心得て、山上の本社には気づかずに帰ってしまった。さて、朋輩に向かって「年来思っていた岩清水八幡の参詣を果たしました。聞いていた以上に尊くあらせられたことでした。それにしても、参詣の人がみな、山に登りましたのは、山の上にも何かあったのでしょうか。私も行ってみたいと思ったが、神様へお参りするのが、本来の志だと思って、山まで見ませんでした。」と言った。こういうことがあるから、ちょっとした事にも指導者がほしいものである。(学燈文庫、保坂弘司訳)
私が学生のときこれを読んで、ただ間の抜けた法師だと思い、特に感想はありませんでした。しかし二十歳を過ぎてもう一度この話に出会ったとき、これはひょっとして自分の事かもしれないと思いました。
学生の頃、私はほとんど塾には、いったことがありませんでした。「勉強は自分でやるもの」と思っていたからです。一つ一つの問題に向き合うのは自分ですし、自分の頭で考え、自分で解決していかなければ何も始まりません。実際の試験でも、誰か助けてくれるわけでもなく、解答するのは自分ひとりです。また、それは勉強に限ったことではありませんでした。特に若い頃は自分の感覚、自分の考えを最優先にして行動していたように思います。
しかし、いろいろなことで行き詰ってきたときに、この言葉「すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり」が身にしみて感じられるようになりました。確かに私は、自分の事について他の人に相談する、ということはなかったように思います。自分の事を一番知っているのは自分自身なので、人に相談しても仕方がない、という気持ちがあったからだと思います。しかしたとえそうであっても、例えばその仁和寺の法師は、今にして思えば「この上に何があるのですか」と気楽に聞けばよかったと思うように、同じようなことは私にも残っています。もしそうしたら、また別の展開があったかもしれいと思ったりします。
実は私が塾をやっているのも、そういうことがあるからです。生徒たちを強引に引っ張るのでなく、「先達」として軽く声をかけ「こういうこともあるよ」とか「今の時期はこうしたほうがいいんじゃないの」と、彼ら自身の道を自分で切り開くヒントを、与え続けていきたいと思っているからです。そして彼らの可能性を広げ、彼ら自身で勝ち取っていく新しい世界を、彼らに見せてあげたいと思っています。