2024年 11月 24日 (日)

夢学館(仙台市青葉区東照宮)

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塾長のページ(夢学館):2011年5月

2011年5月30日

色分け

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いやぁ〜知らなんだ

気体の種類によって

ボンベって色分けされてんだ!?

いやぁ〜知らなんだ

手続きの関係で県税事務所に行ったんだけど

そこの1階のロビーの掲示板?に貼られてんだわ。。。

んー、ウチ、プロパンガスだけど確かに「ねずみ色」だし

病院で患者さんで黒のボンベ携行していたの覚えてるっ!

確かに酸素だったぞっ!

ん〜〜〜、知らななんだ

ってことはボンベの色で気体の種類が分かるってことだ!!

これで少しは危険回避の役にたつな!

あ、でも、これ全部暗記しとかないと役に立たないか・・・(泣)



2011年5月29日

松島水族館

カテゴリ:もりTの日記

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先々週だけど、、、

松島水族館に行ってきただ。。。

その前に水族館から営業再開のお手紙を頂いていたので

応援の意味も込めて行ってきたさぁ。。。

津波?

そりゃぁ、ちょっと気になるけど、、、

水族館の後ろは高台になっているし、、、

いざとなれば逃げられるだろうと判断したわけ。。。

ただね、駐車は高台の無料駐車場にした。。。

そんでもね、意外にお客さんいっぱいいたっすね。。。

なんか、松島は島が津波を弱めたの?

他の沿岸部と違って思っていたより波が低かった?みたい・・・

水族館もコマッコウ、マンボウ、ビーバーがダメだったみたいだけど、、、

アザラシも元気だったみたいで、、、

しっかり握手してきただv( ^ ^ )v

あの感触がクセになるんだよねぇ

みんな、少しずつ息抜きしたくなってきたのかなぁ。。。

お土産物屋さんは全体の3割くらいだったかな、、、

頑張って欲しいね!!



2011年5月24日

震災報告「このブログを見ている全ての方へ」No.30

カテゴリ:もりTの日記

地震当日のもりTは何してたの?という質問があったので回想してみます。

3月12日(土)

5:00頃 起床。
    全てのライフラインが止まっていることを確認。
    危険回避のため、安全確認ができるまで土足で動くことをルール確認。
    ラジオで被害状況の情報収集。
    「想像以上に被害は大きいらしい」

6:00頃 朝食。
    お菓子として買っていたホームパイ、クッキーを食べる。
    この時、電気を使わないストーブを購入していなかったことを後悔する。
    (前々から購入しようと話し合っていたのに痛恨のミス)

7:00頃 室内の片付け開始。
    まずは危険な食器類の片付け。
    余震に気をつけながらの作業。
    いつでも外に逃げ出せるように1階サッシ脇に寝床を確保する。

10:00頃 お隣のお母さんから「これ使いな」
     と電気不要の石油ストーブを持ってきて頂く。
     お言葉に甘えて拝借する。

     冷蔵庫の中身、在庫の食料を確認。
    「うまくやり繰りすれば10日くらいは持つだろう」

     車のガソリンが5目盛りしか無い!
     車の移動は緊急時のみの使用とし、
     それ以外は携帯の充電用に使うことにする。

12:00頃 昼食
     拝借した石油ストーブで食パンを焼いて食す。

午後   近所の被害状況の確認のため自転車で出かける
     目だった建物被害はナシ。
     ところが10分進んだところで状況は一変。
     磯の香りが立ち込め、一面水浸し。。。
     「海水か?」
     そのまま自転車を進める。
     凄惨極まりない光景。
     自宅からわずか1キロ少々の地点。
     津波がギリギリまで来ていたことを実感する。
     産業道路は壊滅状態、、、
     あまりの悲惨な状況に耐えられず、引き返す。

     帰りは七北田川堤防を通る。
     水位が高い。
     河川敷が水浸し、、、「ここも津波が上がったのか?」
     よく見ると3mほど水位上昇の痕跡あり。
     河口から8km地点でこの状況、、、
     河口付近が相当の被害が出ていることは容易に想像できた。

16:00頃 帰宅
     ほどなく福島原発が深刻な状況にあることをラジオで確認。
     散乱した書籍類の中から地図を取り出し、自宅の位置確認。
     福島第二原発から自宅までおよそ90km超。
     「状況によっては避難か?」
     地図で北に向かうルートを確認しておく。
     最悪のシナリオにならないことを祈りながらラジオに聞き入る。

17:00頃 夕食の準備、17:30くらいには暗くなってくる。
     じゃがバター、白菜と豚肉の蒸し物、
     限りある灯油のため、ストーブの使用は朝、晩のみ

18:30頃 消灯

     
    



2011年5月23日

震災報告「このブログを見ている全ての方へ」No.29

カテゴリ:もりTの日記

地震当日のもりTは何してたの?という質問があったので回想してみます。

3月11日(金)

14:00 某地方銀行に決算の報告

14:40 銀行を出る

14:44 銀行近くの駐車場から出庫
    カーナビをテレビに切り替えて走行

14:46 東北大学農学部前
    信号が赤だったので減速、と同時にテレビから警報音が鳴る。
   「強い揺れに注意して下さい」のメーッセージを見ると同時に揺れが始まる。

    「とうとう来やがったな、宮城沖!」(この時はまだ冷静)
    停車、揺れが収まるのを待つ。
   
    揺れが収まってきたと思った次の瞬間、第2波の揺れが始まる。
   「ん?デカイぞ!」
    車が弾むように揺れる。
    信号機が停電。
    排水溝やマンホールから白い煙が勢いよく吹き出す。
    この瞬間に「ただ事ではない」と実感する。
    真横でボーリング場のガラスが割れるのが見える。

    第3波
   「長い! 地球壊れる?」(真面目にそう思う)
   「マズい、これは被害が大きいぞ。家族は?」

14:50頃 周りの安全を確認、走行再開。
     瞬く間に渋滞。
     歩道上では飛び出してきた人達が呆然と立ち尽くしている。
     携帯で妻への連絡を試みるが、通話制限で連絡が取れない。
     とにかく家路を急ぐ。

14:55頃 テレビから「大津波警報発令」を聴く。
    「当然だな」と冷静に思ったが、次の瞬間、背筋が凍り付く。

        「仙台港、予想される津波の高さ10m、到達予想時刻15:30頃」

     耳を疑い、テレビの音声に集中しながら車を走らせる。
     間違いなく10m級の津波が来る!

     自宅は仙台港から5km、、、
     スマトラ沖大地震の時の津波は5kmは越えていたはずだ、、、
     マズい、かなりマズい

15:25頃 裏道を使って何とか自宅に到着
     庭で毛布にくるまった娘、妻と再会
     考える間もなく土足のまま、室内に入り、貴重品、ラジオ、懐中電灯を
     持ち出し、すぐに数百メートル先の高台を目指す。
     途中、突然天候が吹雪になる。
    「マジかよ!」

15:35頃 高台の下に到着、そのまま待機。
    「津波が見えたらそのまま高台に上がろう」 緊張感が走る。

16:00頃 軽自動車で蒲生地区から避難してきた女性と遭遇。
    「蒲生も名取も津波で全滅だって」声を震わせながらの女性の言葉に耳を疑う。
    「すぐそこまで津波来てるわよ!」
     その時点で覚悟を決める、「これは来るな・・・」(結局来ませんでしたが)

17:30頃 当面、大丈夫だろうとの判断で家族を自宅に戻す。
    「ここに津波が来ても、家ごと流される勢いはないだろう」
     ただ、万が一の事態に備えて、緊急用の物資を全て2階に上げる。
     同時に、風呂、バケツ、やかんなどに水を溜めだす。
     幸い断水にはなっていないようだ。(この数時間後、断水することになる)

18:00頃 夕飯。
     プロパンは生きているようだったが、安全確認が出来るまで使えない。
     クッキー、ホームパイ、お菓子関係。
     長期戦になることが予想されたので、
     とりあえず、親は最小限の摂取にとどめる。

18:30頃 就寝。
     夜中、何度も大きな余震の度に目が覚めるが、不思議と冷静。
    「あんなに夜中揺れてたのにイビキかいて寝てた」と翌日妻に呆れられる。

 



2011年5月23日

震災報告「このブログを見ている全ての方へ」No.28

カテゴリ:もりTの日記

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石巻視察の帰り際、

親友「菊地たかよし」くんのお知り合いを訪問しました。

なんと、警察官。。。

この男、どこまで顔が広いのか?と思うほど人脈があるのです。

警察に向かう途中、埼玉県警、三重県警のパトカーと遭遇しましたが、、、

「行方不明者の捜索は主に地元警察と自衛隊が行い、パトロール巡回は他県の応援に頼っている」のだそうです。

この警察署は、この方の指示で職員全員が無事だったそうですが、

それでもご家族が津波の犠牲になられたり

仲間が他の署で殉職されているそうです。

市民の財産、生命を守る立場とはいえ、

津波が襲ってきた時は、「避難誘導」と「自分の命を守る」、、、

究極の選択を迫られていたことは容易に想像できます。

石巻に限らず、いろんな場所で、、、

市民を守る警察官が殉職されたことにあらためて心が痛みました。

私たち市民は、そんな活動されている警察を煩わせない生活を心がけないといけませんね。



2011年5月20日

震災報告「このブログを見ている全ての方へ」No.27

カテゴリ:もりTの日記

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サッカー日本代表・内田篤人選手がCMで

「日本が一つのチームなんです」というシーンがありますが、、、

まさに「その通りっ!」ですね。。。

被災地では自衛隊を中心に、警察、消防、海上保安庁、その他数多くの公務員の方々が日々活動してくれています。

ところで、今回の視察中にたまたま親友「菊地たかよし」くんの同期の隊員の方と石巻で遭遇。。。

数年ぶりの再会なんだとか。。。

災害現場で再会とは皮肉なものです。

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この隊員の方は四国の部隊で作戦課長、

3月13日に被災地入り、、、

2ヶ月の滞在で、お風呂に入れたのはわずかに3回だけだそうです。。。

たった3回、、、

そんな環境で任務を遂行されているのですね。。。

あらためて彼らに敬意を表したいと思います。



2011年5月19日

震災報告「このブログを見ている全ての方へ」No.26

カテゴリ:もりTの日記

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新北上大橋です。

何年か前に北上展勝地へ花見に来たことがあったので、、、

川が広いことは知っていましたが、、、

来てみると改めて川幅の大きさに気づかされます。

橋は300〜400mくらいはあると思います。

河口から4キロほどの場所ですが、

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この広い川、河口から離れたこの場所でもってさえも津波は越えてしまったとのこと。

橋の大きな欄干にコンクリートの土台らしきものが張り付いたままです。。。

川の水面からは7、8mの高さはあるであろうこの欄干をも津波が越えたのですね。。。

実は、このすぐそばに大川小学校があります。

子供を失った親の苦しみはもちろんですが、、、

子供たちを守りきれなかった教職員の先生達の苦悩も察するに余りあります。。。



2011年5月18日

震災報告「このブログを見ている全ての方へ」No.25

カテゴリ:もりTの日記

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雄勝の大須小学校にも足を運ばせて頂きました。

避難所の運営本部には小学校の職員以外にも

自衛隊の方、刑務官の方もいらっしゃいました。

公務員総出でサポートしているんですね。頭が下がります。

奥には医務室も運営されており

名古屋?の日本赤十字の看護師さんたちが活動しておられました。

私達を応対して下さったAさんは、ご本人も津波で被災され

市の臨時職員としてサポートに回っているのだとか・・・

生活を立て直そうと必死で頑張っている姿に突き動かされるものがあります。

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児童図書や更衣室など、、、

以前に比べると環境は良くなったとは言われますが、、、

そでも固い床に段ボールの仕切りのみで2ヶ月以上もの生活、、、

早く、普通の生活に戻れるようになることを切に祈らずにはいられません。。。

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避難所の脇には自衛隊が入浴施設を開放していました。。。

お風呂上がりの人たちの笑みは、直に心が伝わってきます。。。

その陰で、自衛隊の皆さんはほとんどお風呂にも入らず活動をされているそうです。。。

「感謝」以上の賛辞があれば、彼らに送りたいものです。。。



2011年5月16日

震災報告「このブログを見ている全ての方へ」No.24

カテゴリ:もりTの日記

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5月15日(日)

友人「菊地たかよし」くんに同行して

石巻・雄勝に行ってきました。。。

目的は東京からの支援物資の配給調整と現状把握でした。

雄勝の物資担当Mさんから現状をお聞きしたところ、、、

最近まで1日2食の避難所がまだあったんだとか・・・

これだけ恵まれていた国なのに、

まだ厳しい環境で生活している人たちがいるんですね。。。

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雄勝地方は硯で有名!

地元の名産なのに知りませんでした

猛省です。。。

役所の一角には回収された硯が積まれていました。

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Mさんからの聞き取りが終わった後、

許可を頂き、庁舎内を見せて頂きました。。。

3階建ての庁舎は屋上ギリギリまで津波が来たそうです。。。

庁舎内の各部屋はその爪痕が生々しく残っていました。

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室内に入り込んだ水も、おそらく濁流なのかもしれません。

木製のドアが無惨に破壊されています。

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屋上では、重要な書類が所狭しと天日干しされていましたが、

奥にはベッド、イス、毛布が置かれたまま。。。

救援が来るまでの生活の跡、、、

まだ3月11日のまま時間が止まっている風景がいろいろ残っている現状です。

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これは旧町長室から見えた旧雄勝町の風景です。

瓦礫撤去も均等に行えれば良いのでしょうが、、、

ここはまだ3月11日のままと言っても言い過ぎではないのかもしれません。



2011年5月13日

震災報告「このブログを見ている全ての方へ」No.23

カテゴリ:もりTの日記

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先日、津波から命からがら生還した青年のご家族の方からお話が聞けました。

本震後、車で逃げた人、自転車で逃げた人、

被災後の行動は人それぞれ・・・

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この人は、会社の先輩達が植えた防潮林に一晩しがみついて助かったそうです。

津波は翌朝まで引かなかったらしく

その恐怖感たるや、察するに余りあります。。。

このようなギリギリの環境で助かった人がたくさんいるのでしょうね。。。

生きていることに感謝です。

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