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2011年5月23日

震災報告「このブログを見ている全ての方へ」No.29

カテゴリ:もりTの日記

地震当日のもりTは何してたの?という質問があったので回想してみます。

3月11日(金)

14:00 某地方銀行に決算の報告

14:40 銀行を出る

14:44 銀行近くの駐車場から出庫
    カーナビをテレビに切り替えて走行

14:46 東北大学農学部前
    信号が赤だったので減速、と同時にテレビから警報音が鳴る。
   「強い揺れに注意して下さい」のメーッセージを見ると同時に揺れが始まる。

    「とうとう来やがったな、宮城沖!」(この時はまだ冷静)
    停車、揺れが収まるのを待つ。
   
    揺れが収まってきたと思った次の瞬間、第2波の揺れが始まる。
   「ん?デカイぞ!」
    車が弾むように揺れる。
    信号機が停電。
    排水溝やマンホールから白い煙が勢いよく吹き出す。
    この瞬間に「ただ事ではない」と実感する。
    真横でボーリング場のガラスが割れるのが見える。

    第3波
   「長い! 地球壊れる?」(真面目にそう思う)
   「マズい、これは被害が大きいぞ。家族は?」

14:50頃 周りの安全を確認、走行再開。
     瞬く間に渋滞。
     歩道上では飛び出してきた人達が呆然と立ち尽くしている。
     携帯で妻への連絡を試みるが、通話制限で連絡が取れない。
     とにかく家路を急ぐ。

14:55頃 テレビから「大津波警報発令」を聴く。
    「当然だな」と冷静に思ったが、次の瞬間、背筋が凍り付く。

        「仙台港、予想される津波の高さ10m、到達予想時刻15:30頃」

     耳を疑い、テレビの音声に集中しながら車を走らせる。
     間違いなく10m級の津波が来る!

     自宅は仙台港から5km、、、
     スマトラ沖大地震の時の津波は5kmは越えていたはずだ、、、
     マズい、かなりマズい

15:25頃 裏道を使って何とか自宅に到着
     庭で毛布にくるまった娘、妻と再会
     考える間もなく土足のまま、室内に入り、貴重品、ラジオ、懐中電灯を
     持ち出し、すぐに数百メートル先の高台を目指す。
     途中、突然天候が吹雪になる。
    「マジかよ!」

15:35頃 高台の下に到着、そのまま待機。
    「津波が見えたらそのまま高台に上がろう」 緊張感が走る。

16:00頃 軽自動車で蒲生地区から避難してきた女性と遭遇。
    「蒲生も名取も津波で全滅だって」声を震わせながらの女性の言葉に耳を疑う。
    「すぐそこまで津波来てるわよ!」
     その時点で覚悟を決める、「これは来るな・・・」(結局来ませんでしたが)

17:30頃 当面、大丈夫だろうとの判断で家族を自宅に戻す。
    「ここに津波が来ても、家ごと流される勢いはないだろう」
     ただ、万が一の事態に備えて、緊急用の物資を全て2階に上げる。
     同時に、風呂、バケツ、やかんなどに水を溜めだす。
     幸い断水にはなっていないようだ。(この数時間後、断水することになる)

18:00頃 夕飯。
     プロパンは生きているようだったが、安全確認が出来るまで使えない。
     クッキー、ホームパイ、お菓子関係。
     長期戦になることが予想されたので、
     とりあえず、親は最小限の摂取にとどめる。

18:30頃 就寝。
     夜中、何度も大きな余震の度に目が覚めるが、不思議と冷静。
    「あんなに夜中揺れてたのにイビキかいて寝てた」と翌日妻に呆れられる。

 





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