震災報告「このブログを見ている全ての方へ」No.30
地震当日のもりTは何してたの?という質問があったので回想してみます。
3月12日(土)
5:00頃 起床。
全てのライフラインが止まっていることを確認。
危険回避のため、安全確認ができるまで土足で動くことをルール確認。
ラジオで被害状況の情報収集。
「想像以上に被害は大きいらしい」
6:00頃 朝食。
お菓子として買っていたホームパイ、クッキーを食べる。
この時、電気を使わないストーブを購入していなかったことを後悔する。
(前々から購入しようと話し合っていたのに痛恨のミス)
7:00頃 室内の片付け開始。
まずは危険な食器類の片付け。
余震に気をつけながらの作業。
いつでも外に逃げ出せるように1階サッシ脇に寝床を確保する。
10:00頃 お隣のお母さんから「これ使いな」
と電気不要の石油ストーブを持ってきて頂く。
お言葉に甘えて拝借する。
冷蔵庫の中身、在庫の食料を確認。
「うまくやり繰りすれば10日くらいは持つだろう」
車のガソリンが5目盛りしか無い!
車の移動は緊急時のみの使用とし、
それ以外は携帯の充電用に使うことにする。
12:00頃 昼食
拝借した石油ストーブで食パンを焼いて食す。
午後 近所の被害状況の確認のため自転車で出かける
目だった建物被害はナシ。
ところが10分進んだところで状況は一変。
磯の香りが立ち込め、一面水浸し。。。
「海水か?」
そのまま自転車を進める。
凄惨極まりない光景。
自宅からわずか1キロ少々の地点。
津波がギリギリまで来ていたことを実感する。
産業道路は壊滅状態、、、
あまりの悲惨な状況に耐えられず、引き返す。
帰りは七北田川堤防を通る。
水位が高い。
河川敷が水浸し、、、「ここも津波が上がったのか?」
よく見ると3mほど水位上昇の痕跡あり。
河口から8km地点でこの状況、、、
河口付近が相当の被害が出ていることは容易に想像できた。
16:00頃 帰宅
ほどなく福島原発が深刻な状況にあることをラジオで確認。
散乱した書籍類の中から地図を取り出し、自宅の位置確認。
福島第二原発から自宅までおよそ90km超。
「状況によっては避難か?」
地図で北に向かうルートを確認しておく。
最悪のシナリオにならないことを祈りながらラジオに聞き入る。
17:00頃 夕食の準備、17:30くらいには暗くなってくる。
じゃがバター、白菜と豚肉の蒸し物、
限りある灯油のため、ストーブの使用は朝、晩のみ
18:30頃 消灯