地震当日のもりTは何してたの?という質問があったので回想してみます。
3月11日(金)
14:00 某地方銀行に決算の報告
14:40 銀行を出る
14:44 銀行近くの駐車場から出庫
カーナビをテレビに切り替えて走行
14:46 東北大学農学部前
信号が赤だったので減速、と同時にテレビから警報音が鳴る。
「強い揺れに注意して下さい」のメーッセージを見ると同時に揺れが始まる。
「とうとう来やがったな、宮城沖!」(この時はまだ冷静)
停車、揺れが収まるのを待つ。
揺れが収まってきたと思った次の瞬間、第2波の揺れが始まる。
「ん?デカイぞ!」
車が弾むように揺れる。
信号機が停電。
排水溝やマンホールから白い煙が勢いよく吹き出す。
この瞬間に「ただ事ではない」と実感する。
真横でボーリング場のガラスが割れるのが見える。
第3波
「長い! 地球壊れる?」(真面目にそう思う)
「マズい、これは被害が大きいぞ。家族は?」
14:50頃 周りの安全を確認、走行再開。
瞬く間に渋滞。
歩道上では飛び出してきた人達が呆然と立ち尽くしている。
携帯で妻への連絡を試みるが、通話制限で連絡が取れない。
とにかく家路を急ぐ。
14:55頃 テレビから「大津波警報発令」を聴く。
「当然だな」と冷静に思ったが、次の瞬間、背筋が凍り付く。
「仙台港、予想される津波の高さ10m、到達予想時刻15:30頃」
耳を疑い、テレビの音声に集中しながら車を走らせる。
間違いなく10m級の津波が来る!
自宅は仙台港から5km、、、
スマトラ沖大地震の時の津波は5kmは越えていたはずだ、、、
マズい、かなりマズい
15:25頃 裏道を使って何とか自宅に到着
庭で毛布にくるまった娘、妻と再会
考える間もなく土足のまま、室内に入り、貴重品、ラジオ、懐中電灯を
持ち出し、すぐに数百メートル先の高台を目指す。
途中、突然天候が吹雪になる。
「マジかよ!」
15:35頃 高台の下に到着、そのまま待機。
「津波が見えたらそのまま高台に上がろう」 緊張感が走る。
16:00頃 軽自動車で蒲生地区から避難してきた女性と遭遇。
「蒲生も名取も津波で全滅だって」声を震わせながらの女性の言葉に耳を疑う。
「すぐそこまで津波来てるわよ!」
その時点で覚悟を決める、「これは来るな・・・」(結局来ませんでしたが)
17:30頃 当面、大丈夫だろうとの判断で家族を自宅に戻す。
「ここに津波が来ても、家ごと流される勢いはないだろう」
ただ、万が一の事態に備えて、緊急用の物資を全て2階に上げる。
同時に、風呂、バケツ、やかんなどに水を溜めだす。
幸い断水にはなっていないようだ。(この数時間後、断水することになる)
18:00頃 夕飯。
プロパンは生きているようだったが、安全確認が出来るまで使えない。
クッキー、ホームパイ、お菓子関係。
長期戦になることが予想されたので、
とりあえず、親は最小限の摂取にとどめる。
18:30頃 就寝。
夜中、何度も大きな余震の度に目が覚めるが、不思議と冷静。
「あんなに夜中揺れてたのにイビキかいて寝てた」と翌日妻に呆れられる。
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夢学館
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2011年5月23日 13:48
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